Bill Callahan / Smog 私訳

Bill Callahan / Smog 私訳

Bill Callahanの歌詞の私訳です。まれにその他も訳すかもしれません。間違い等あればコメントください。

ジム・ケイン (Jim Cain)

「ジム・ケイン (Jim Cain)」

 

私はありふれたものを追求することから始めた

木はどの程度 風でしなるのか

結末も知らないままに語り始めたんだ

 

かつて私は暗かった

そして明るくなり

再び暗くなった

大きすぎて捉えられないものが

私の頭上を何度も通り過ぎた

 

まあ よくあることなのだろうと初めのうちは思った

影が潰えると 詩は軽やかになった

だが実際は 最も闇深かった夜が 今なお光り輝いている

そんな中で 消耗してしまうまで自分を働かせている

 

結局はありふれたものを追求することになった

波なんてものあり得るだろうか? といった具合で

私は走り出した するとコンクリートは砂になった

私は走り出した 計画通りにはいかなかった

 

もしうまくいかずに 私が戻らなかったとしても

私のしてきた良いことを思い返してくれ

仮にうまくいかず 戻ることがなくても

私のしてきた良いことを思い返してくれ

 

私を疲弊させてきた そのことを

 

 

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Bill Callahan名義『Sometimes I Wish We Were An Eagle』の一曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

この曲は2023年現在、Spotify上の、Bill Callahanの曲の中で(Smog時代を含めても)圧倒的な再生数No.1に君臨しています。Bill Callahan最大の人気曲なだけあって、和訳は今までの曲と比較にならないほど難しいものでした。それゆえ解説しなければならない箇所が多数ありますので以下に記載します。

まず「ジム・ケイン」とは何か。これは本人がインタビューにて、作家James M. Cainのことであると明言しています。この曲の歌詞はジム・ケインの生涯を空想して書かれたものであり、それに加え、彼の小説の登場人物やキャラハン本人といったあらゆる目線からも語られている、とキャラハンは答えています。歌詞サイトGENIUSの考察には「暗→明→暗」がキャラハンのこれまでのディスコグラフィーに一致することや、「私のしてきた良いこと」=「Smog時代の作品」であり、SmogからBill Callahanという本名名義への変更に伴う作風のシフトが仮に失敗しても、「Smog時代の作品」に戻ってくれ、という意図なのではないかとも書かれています。

さらなる前提として、当曲から幕を開けるアルバム『Sometimes I Wish We Were An Eagle(時として、我々が鷲であればよかったのにと思う)』全体を通して使われている二つのメタファーの存在に触れておきます。「木」と「鳥」です。本作ではこの二つのモチーフが頻繁に登場します。アルバムの七曲目である「All Thoughts Are Prey To Some Beast」の冒頭にはこうあります。

“葉のない木はまるで脳だ

 そこに止まる鳥たちは 私の思考と欲望の全て”

ここで語られている「木」と「鳥」が、他の全ての曲で同様のメタファーとして用いられているのではないかと考えられます。キャラハンもインタビュー内で、「アルバム中になぜ鳥が何度も登場するのか」という質問に対し、「私は数多くのことを知っているわけではない。たくさんのものを読んではいるが、そのほとんどが通り過ぎていく。あまり記憶に残らないんだ」と答えています。質問の答えになっているかは疑問ですが、前述のメタファーが前提であるならば、一応は回答として成立しているように思えます。そしてアルバム名にある「鷲」というのは、「木(頭)」に止まっては飛び去って行く「鳥たち(思考)」の中でも特に巨大で、時には捕食者として他の鳥を食ってしまうものであると考えられます。当曲では「大きすぎて捉えられないもの」がそれにあたるのかもしれません。

以上が(当曲/当アルバム)を読み解く際に重要と思われる前提です。

最後に一箇所、わかりづらい部分の解説をします。「波なんてものあり得るだろうか?」という部分です。GENIUSの解説を読むに、この「波」はいわゆる人生における「起伏」に、量子物理学における「波」を引っ掛けているみたいです。ここでは詳しい説明を省きますが、「二重スリット実験」など、調べていただけるとわかりやすいかと思います。

いやぁ、一番の大物が終わってひと安心。