Bill Callahan / Smog 私訳

Bill Callahan / Smog 私訳

Bill Callahanの歌詞の私訳です。まれにその他も訳すかもしれません。間違い等あればコメントください。

田舎へ越そう (Let's Move To The Country)

「田舎へ越そう (Let's Move To The Country)」

 

田舎へ越そう

君と私のふたりで

 

旅は終わった

旅は終わり

 

田舎へ越そう

私と君のふたりで

 

ヤギにサルに

ラバにノミ

 

田舎へ越そう

君と私のふたりで

 

はじめよう

持とう

 

旅は終わりだ

 

 

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原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

当曲はのちに、『Gold Record』六曲目にてセルフカヴァーがなされますが、

“はじめよう

 持とう”

の部分に歌詞が追加され、

“家族になろう

 子供を一人を作ろう

 あるいは双子か”

となります。

それと、ラバのWikipediaに面白い箇所があったのでここに引用します。

「stubborn as a mule(ラバのように頑固)」という慣用句があるように、怪我をさせたり荒く扱う等で機嫌が悪くなると、全く動かなくなる頑固で強情な性格がロバから遺伝している。

友よ (My Friend)

「友よ (My Friend)」

 

私は辺りを探し回った

どこにも書かれていなかった

だから今 君に伝えよう

君をこれからも愛し続ける

友よ

 

我々二人 同じ木から切り出されてはいないにしても

同じ絞首台に使われている

柱と梁みたいなものじゃないか

絞首台の柱と梁のように

我々は共通の夢を抱いている

他者を害する者を打ち砕くという夢だ

友よ

 

私は辺りを探し回った

どこにも書かれていなかった

だから今 君に伝えよう

君をこれからも愛し続ける

友よ

 

 

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Bill Callahan名義『Sometimes I Wish We Were An Eagle』の六曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

この曲はとにかく絞首台のくだりが最高ですね。やはりこの曲にも「木」が登場しますが、同アルバムの他の曲のように脳のメタファーとして捉えようとすると、やや難解になってしまう気がします。

自由に(Free’s)

「自由に(Free’s)」

 

私は大地に立っている

疑問に満ちた大地だ

見渡す限り

これは自由といえるのか?

それとも自由に属しているというべきか?

 

苦境の中での自由 そして楽境の中での自由

自分が信仰していないものをあざ笑うことに属し

自分がやらなかったものを賞賛することに属す

 

これが自由を意味するのなら

私は自由だ そして自由に属している

そして自由は

私に属している

 

 

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Bill Callahan名義『Apocalypse』の六曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

個人的に好きな曲なのですが、訳に関しても考察に関しても、正直言って書くことがありません。インタビュー記事を探ったところ、キャラハンはこの曲を「できる限り広義な言葉を使って全体をまとめ上げようと試みた」曲であると語っています。この曲のような哲学的な歌詞は、歌っていそうで実はあまり他に思い当たらないと思っていたので、そう考えるとキャラハンにとっては意外とチャレンジングな曲なのかもしれません。

ジム・ケイン (Jim Cain)

「ジム・ケイン (Jim Cain)」

 

私はありふれたものを追求することから始めた

木はどの程度 風でしなるのか

結末も知らないままに語り始めたんだ

 

かつて私は暗かった

そして明るくなり

再び暗くなった

大きすぎて捉えられないものが

私の頭上を何度も通り過ぎた

 

まあ よくあることなのだろうと初めのうちは思った

影が潰えると 詩は軽やかになった

だが実際は 最も闇深かった夜が 今なお光り輝いている

そんな中で 消耗してしまうまで自分を働かせている

 

結局はありふれたものを追求することになった

波なんてものあり得るだろうか? といった具合で

私は走り出した するとコンクリートは砂になった

私は走り出した 計画通りにはいかなかった

 

もしうまくいかずに 私が戻らなかったとしても

私のしてきた良いことを思い返してくれ

仮にうまくいかず 戻ることがなくても

私のしてきた良いことを思い返してくれ

 

私を疲弊させてきた そのことを

 

 

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Bill Callahan名義『Sometimes I Wish We Were An Eagle』の一曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

この曲は2023年現在、Spotify上の、Bill Callahanの曲の中で(Smog時代を含めても)圧倒的な再生数No.1に君臨しています。Bill Callahan最大の人気曲なだけあって、和訳は今までの曲と比較にならないほど難しいものでした。それゆえ解説しなければならない箇所が多数ありますので以下に記載します。

まず「ジム・ケイン」とは何か。これは本人がインタビューにて、作家James M. Cainのことであると明言しています。この曲の歌詞はジム・ケインの生涯を空想して書かれたものであり、それに加え、彼の小説の登場人物やキャラハン本人といったあらゆる目線からも語られている、とキャラハンは答えています。歌詞サイトGENIUSの考察には「暗→明→暗」がキャラハンのこれまでのディスコグラフィーに一致することや、「私のしてきた良いこと」=「Smog時代の作品」であり、SmogからBill Callahanという本名名義への変更に伴う作風のシフトが仮に失敗しても、「Smog時代の作品」に戻ってくれ、という意図なのではないかとも書かれています。

さらなる前提として、当曲から幕を開けるアルバム『Sometimes I Wish We Were An Eagle(時として、我々が鷲であればよかったのにと思う)』全体を通して使われている二つのメタファーの存在に触れておきます。「木」と「鳥」です。本作ではこの二つのモチーフが頻繁に登場します。アルバムの七曲目である「All Thoughts Are Prey To Some Beast」の冒頭にはこうあります。

“葉のない木はまるで脳だ

 そこに止まる鳥たちは 私の思考と欲望の全て”

ここで語られている「木」と「鳥」が、他の全ての曲で同様のメタファーとして用いられているのではないかと考えられます。キャラハンもインタビュー内で、「アルバム中になぜ鳥が何度も登場するのか」という質問に対し、「私は数多くのことを知っているわけではない。たくさんのものを読んではいるが、そのほとんどが通り過ぎていく。あまり記憶に残らないんだ」と答えています。質問の答えになっているかは疑問ですが、前述のメタファーが前提であるならば、一応は回答として成立しているように思えます。そしてアルバム名にある「鷲」というのは、「木(頭)」に止まっては飛び去って行く「鳥たち(思考)」の中でも特に巨大で、時には捕食者として他の鳥を食ってしまうものであると考えられます。当曲では「大きすぎて捉えられないもの」がそれにあたるのかもしれません。

以上が(当曲/当アルバム)を読み解く際に重要と思われる前提です。

最後に一箇所、わかりづらい部分の解説をします。「波なんてものあり得るだろうか?」という部分です。GENIUSの解説を読むに、この「波」はいわゆる人生における「起伏」に、量子物理学における「波」を引っ掛けているみたいです。ここでは詳しい説明を省きますが、「二重スリット実験」など、調べていただけるとわかりやすいかと思います。

いやぁ、一番の大物が終わってひと安心。

世界にとっての母親に (I Feel Like The Mother Of The World)

「世界にとっての母親に (I Feel Like The Mother Of The World)」

 

どの神が存在してどの神が存在しないのか

私が語るべきではないが

今となってはそんなこと

本当にどうだっていい

神とは言葉だ

それで議論は終わる

ああ 全くもって 世界の母親になった気分だ

子供が二人

ああ 全くもって 世界の母親になった気分だ

二人の子供が喧嘩している

子供の頃 姉とよく揉めごとを起こした

やがて現実に直面すると

残ったのは涙と立場だけ

涙と立場だけ

そして私の母は 不憫な母は

もういいからと言った

もういいから

喧嘩をやめて

ああ 全くもって 世界の母親になった気分だ

二人の子供が

 

 

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Smog名義『A River Ain't Too Much To Love』の五曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

“Sister”を姉としたのは、キャラハンがインタビュー記事にて「私が歩けるようになってすぐ、二人のSisterが私にチュチュを着せようとした」と語っていたため、状況から見て姉であると推測しました。

“tears and sides”を「涙と立場」としましたが、“tear”が「分断」を表している可能性も僅かながらあります。もしくは両方かもしれません。“side”にも「(問題などの)一面」など、当てはめようと思えば当てはまる意味合いがありますが、これに関しては「派閥」の意が順当かと思います。

パーティーの最後の一人 (Last One At The Party)

「パーティーの最後の一人 (Last One At The Party)」

 

パーティーの最後の一人

「行かなきゃいけない」と彼はいつも言う

パーティーの最後の一人

私たちは帰るわけないと思っている

 

廊下で彼に会ったら

ただ向かい合っていればいい

タイプライターのような瞳に

君の知る詩が全て詰まっている

 

パーティーの最後の一人

「行かなきゃいけない」と彼はいつも言う

パーティーの最後の一人

私たちは帰るわけないと思っている

 

君と馬が合うなら

私は猫のために戻るよ

 

パーティーの最後の一人

「行かなきゃいけない」と彼はいつも言う

パーティーの最後の一人

帰るわけないのに

 

 

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Bill Callahan名義『YTI⅃AƎЯ』の十二曲目。

原文は歌詞サイトGENIUSと、一部同曲のMVから。

2023年現在、最新作である『YTI⅃AƎЯ』の最後の曲です。意地悪でおかしみのある歌詞から見ても、キャッチーでミニマルかつ雑然としたアレンジ(これはもうほとんど「Let's Move To The Country」では!?)から見ても、私はSmog時代への回帰だと思っています。実際、この前作では「Let's Move To The Country」のセルフカヴァーがなされています。

訳に関しては、ひとつ注釈があります。

「君と馬が合うなら

 私は猫のために戻るよ」

の部分です。原文は、

“If you were a house fire

 I'd go back in for the cat”

です。Get on like a house on fireという表現が、とても仲良しであることを指すそうです。その転用だと思うのですが、「君(前述の彼)のボルテージが上がったら」という可能性もあります。まあでもheではなくyouになっていることを鑑みると、youがheと仲良し、ということだと思います。つまり、「君が彼と仲良しなら、俺は失礼するよ」ということです。「彼よりも猫といる方がいい」と。そこで「馬が合う」という表現を思いついてしまいました。馬と猫。原文にそんなものはないけれど、この曲なら許されるでしょう。

井戸 (The Well)

「井戸 (The Well)」

 

私は仕事が出来なかった

だから瓶を森に投げ捨てたんだ

だがすぐに気の毒になった

雌鹿の足跡を見て

ウサギの足跡を見て

それで私は破片を探しに行った

今投げ入れた瓶の破片を

なぜなら私は仕事が出来なかったからだ

 

深入りしてしまった

私が投げ入れたはずの場所よりも深く

そして古くて寂れた井戸に辿り着いた

全体が板張りで

桶にはまだ水滴がついていた

 

私はその水滴を見つめていたが 滴り落ちることはなかった

水滴を見つめていたが 滴り落ちることはなかった

そのあとは当然の成り行きだ

井戸から板を引き剥がしたのさ

 

板を引き剥がしながら

私は黒い黒い闇を見つめた

当然 私は怒鳴ったさ

ただ声を取り戻すために

 

人それぞれあるだろう

井戸の中に浴びせる言葉なんて

 

私はフゥーと2回ほど

それから「ハロー?」

そして「消え失せろ」

 

人それぞれあるだろう

井戸の中に浴びせる言葉なんて

 

それからそうして立っていたら

黒い黒い闇を見つめて立っていたら

冷たく湿った感触を

首のうしろに感じたんだ

 

クソ

 

そのまま背筋を伸ばしたら

水滴は背中を伝って

手付かずの地へ到達してしまう

 

だから私はそのままでいた

黒い黒い闇を見つめたままで

 

黒は同時に全ての色でもあると言うだろう

だから私はその闇に 真っ赤な怒りや黄ばんだ弱気

自分の青くさい部分

そしてブルーな気持ちを投げ込んだ そのあとは当然の成り行きだ

 

私は踵を返して立ち去った

水滴は背中を伝わせればいい

気の毒ではあるが

 

ただ 知り得ないことだと思うが

私が立ち去る時

また新しい水滴が

桶の底に形作られていたんだ

それで私は満足したのさ

 

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Smog時代『A River Ain’t Too Much To Love』の三曲目。

原文は歌詞集の『I Drive a Valence』から。

この曲はBill Callahanの曲の中でも、そこそこ難解な方なのではないでしょうか。『A River Ain’t Too Much To Love』の収録曲は、キャラハンの現実的な葛藤を歌っている曲が多いので、この曲も丸々ノンフィクションだと言われればそれまでですが、やはりどこか寓話的です。

歌詞サイトGENIUSには二つの考察が載っていたので、ここにもそれを記そうと思います。以下、あくまでネット上の考察です。

まず「暇人の手許は悪魔の仕事場」ということわざです。これは「何もしていないことは悪事をしていることになる」という意味のことわざだそうです。なるほど。だとするとまさに寓話的です。私には冒頭の“I could not work”が、「仕事に就いていない」ことを指すのか「仕事をこなす能力がない」ことを指すのか判断できなかったのですが、この考察に沿うと、前者を指すことになります。でも、二度目の“I could not work”は、自分がポンコツだから、という方がしっくりくる気がするんだけどなあ。

そして二つ目、主人公は首に垂れた水滴にも、雌鹿やウサギと同様に、気の毒な思いを抱いたということです。確かにどちらにも同様の表現(I felt bad)が使われていますが、別に特殊な表現というわけではないので、果たして意味があるのか。さらにその水滴が落ちる先の「手付かずの地(no man's land)」とは、尻の割れ目を指しているらしいです。これは難しい。ネイティブじゃないとわからない。本当なんだろうか? あんまりピンとこない...。まあ“no man's land”には色々な意味があって困るので、とりあえずこの考察を参考にして、尻の割れ目に掠るよう「手付かずの地」としました。

以上がGENIUS上の考察です。あと、もう一つだけ補足したい部分があります。色を投げ込むところです。「真っ赤な怒り」と「ブルーな気持ち」は結構そのままなんですが、「青くさい」というところ。英語ではGreenです。なので「青くさい」と「ブルーな気持ち」で色がダブっているというのは勘弁してください。どうにもできませんでした。そして「黄ばんだ弱気」の部分。原文では“yellow streak”です。streakは「〜な性質」という意味なので、yellowだけで「臆病な」という意味です。なんで? 黄色人種が臆病だからか? と思って調べてみたら違いました。諸説あるようですが、ネット上では「キリストを裏切ったユダの着ていた服が黄色だったから」とか「トカゲの腹の色が黄色で、トカゲは臆病者だから」などと書かれていました。とにかくこういうのは訳しようがありません。好きにルビを振る機能がHatenaBlogにあったら、「臆病さ」の上に“イエロー”と振ったんですが...。